粉ミルク

哺乳瓶を持つ柚子
哺乳瓶を持つ柚子

こんばんは、母です。思いの外パソコンが早く返ってきました。

 

写真の柚子は私に無理やり哺乳瓶を持たされた姿です。赤ちゃんが自分で哺乳瓶やマグを持って飲んでいる姿をよく見ますが、柚子にはその才能や興味は一切無いようでした。なぜかミルク中はいつも私や夫の脇の下をこしょこしょ触ってきました。

 

四十九日を終えてから自宅を少しずつ片付け始めました。そんな中で一番悩んだのは粉ミルクです。

 

柚子は当時1歳半でしたが、まだ粉ミルクを飲んでいました。離乳食で足りない分を補う程度ではありましたが、ネットで毎月決まった量が届くように申し込んでいました。柚子がいなくなってからすぐに定期便を止めましたが、自宅には大量の粉ミルクが余ってしまいました。毎朝柚子にミルクをお供えしていましたが、正直ミルクを作るのも辛くて涙が出てしまう日もあり、私なりに色々考えた結果、粉ミルクを乳児院に寄付することにしました。夫にその思いを相談したところ、始めはミルクあげていたいと言われましたが手元に一缶だけ残す形で私の決断に任せてくれました。

 

ネットで調べたら柚子がお世話になった日本赤十字大学付属の乳児院が渋谷区にあるとのことで、まずは電話で相談してみたところ、快く受け取っていただけることになりました。自宅に余っていたはいはい2缶とぐんぐん6缶、アレルギー用のミルクが一箱…集めてみたら結構な量でした。簡単な自己紹介を書いた手紙を添えて元払いで発送しました。その後担当の方からお電話をいただきましたが電話に出れず、留守番電話には丁寧にメッセージが入っていました。ありがとうございました。

 

今月の24日で百か日を過ぎて、我が家のストックが終わりになり9月28日に最後のミルクをあげました。ゆずちゃんもう1歳9ヶ月だからミルクは卒業だね。

 

柚子は小さく産まれたので、NICU時代から体重を増やす為に粉ミルクと母乳を半々で飲んでいました。生後4ヶ月で肺炎になり入院した際に母乳を飲ませることが出来ない為、面会の合間に岩のように張ってしまった胸を手動の搾乳器で絞ってはトイレに流して捨てていました。容態がなかなか良くならず、離れ離れの生活のストレスから次第に母乳も出なくなったことで、生後7ヶ月で完全粉ミルクの生活となりました。

退院後も何度か授乳を試みましたが、気管奇形の影響からか右側に頭を向けて横抱きで授乳するとすぐにむせてサチュレーションも80台に落ちる為、【哺乳瓶で・頭は左側に向けて】のミルクが我が家では絶対のルールとなっていきました。柚子が生きていく為に必要な食事という行為が命を脅かす存在になっていた日常は、毎日不安が付きものでした。全ては柚子の命を守る為にしていたのに今となってはなんとも言えない気持ちです。

 

よく母乳育児が推奨されていますが、母乳は望んでも出ない人もいれば、治療などの影響で飲ませることが出来ないことがあります。現代の粉ミルクはとても質が良く、粉ミルクがなければきっとここまで大きくなれなかったと思います。お世話になった粉ミルクがどこかの赤ちゃんの成長に少しでもお役に立てたら幸いです。

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コメント: 2
  • #1

    seks telefony (金曜日, 03 11月 2017 21:24)

    wetyweria

  • #2

    źródło (金曜日, 17 11月 2017 23:44)

    sabal