6月17日(月)

17日のことを思い出すと、柚子の最後の場面がフラッシュバックしてしまい心臓が潰されるような思いです。書けるところまでお伝えできればと思います。

 

 

 

17日旦那が午前休をいただき、ずっと担当してくだっている先生に挨拶するまで残ると言っていました。私は毎週月曜日はグループワークなので、入院になってしまい当分お休みすることを療育センターに電話しました。

 

月曜なので、今回の担当の先生と昨年担当してくださった先生が来てくださり、今後の対応など説明を受けました。

 

11時過ぎに旦那が仕事に向かいました。私は部屋で過ごしていましたが、少しして、挿管のチューブをさらに太いものにするとのことで、廊下で待機するよう言われました。いつもは部屋を出てすぐのピンクのベンチで待機するのですが、処置待ちのママさんがかけていたので、看護師さんに小児科病棟から少し離れたベンチに行ってきますと伝え、携帯と離乳食の本を抱えて後にしました。それまであまり進んでいなかった離乳食でしたが、6月に入ってから突然柚子が沢山食べれるようになったので、バリエーションを増やすべく、昨日病院に来る前に買ってきました。

 

ある程度の時間が経った頃に、病室に戻りました。処置も終わって柚子の顔をゆっくり見れると思っていたのです。

 

病室の前に目隠し用のついたてがあったのと、沢山の看護師さんや先生が出入りしているのが見えました。慌ただしく、何かあったのだと。部屋に入ろうとすると、沢山の方が処置をしていました。誰も何も教えてくれない。でも私の口から言葉が出なくて、とりあえず廊下を出てすぐのベンチに座りました。

 

17日になってから、柚子の様態が急変する度に何度も何度も同じベンチに座っています。何分か後に、看護師さんが簡単な説明をしに来てくれました。「柚子ちゃんのチューブを変えた時に心臓も弱っていて、でも今先生たちが蘇生していますので。こちらで少しお待ちください」と言われました。でも不安や心配な気持ちは減ることは無く、すぐに旦那にメールをしました。旦那はタクシーで病院にかけつけました。

 

 

柚子は最後まで一生懸命に頑張りました。先生たちも看護師さんも尽力してくださったのもわかっています。でも本当に悔しいです。数日経った今でもこの日の事を思い出すと、どうして代わってやれなかったのだろうと、私が少し離れたベンチまで行ったから寂しくて弱ってしまったのかと、どうしてうちの柚子なのかと。昨晩からずっと自分の寿命を全て柚子にあげてください、と神様にお願いしていたので、信じられませんでした。

 

最後は旦那と一緒に柚子の体をキレイにし、部屋を後にしました。先生・看護師さん方に線香をあげてもらいました。皆さんそれぞれの中に柚子との思い出があり、柚子とお話していただきました。

 

病院が用意してくれたタクシーに乗り、自宅に向かいました。旦那が抱っこしていたのですが、そういえばいつも運転は旦那がしていたので、柚子を抱えて後部座席に乗るのは初めてだと気付きました。旦那が何度も柚子の頬にキスをしていました。最初で最後の貴重なドライブですね。私は旦那と柚子を見れなくてずっと窓の外を見ていました。こうして柚子は無事に自宅に帰ってこれました。お疲れ様でした。