2011年
11月
30日
水
妻の出産を控えた夫の心境
どうも、父です。
ここまでずっと妻の日記だったので、父からも。
「子宮内胎児発育遅延」と聞いたとき、きっと測定の誤差で、いつか正常な範囲内まで大きくなると、疑ってすらいませんでした。妻にたくさん栄養を摂ってもらえば、きっと大きくなると思っていました。ただ、頭と胴のバランスが正常範囲内じゃない、脳に少し空洞がある、とか言われてきた時に、なんとなーく焦りを覚えました。
だから、妻から「あさって帝王切開で出産しなくちゃいけない」と報告された時もとりあえず焦りました。一応予定日は来年の1月だと思っていましたし、いろいろ最悪の事も頭を過ったり、名前をまだ決めていないとか。笑 病院に着いた時の妻は「よっ!」という感じでしたが、夫婦ともに緊張していました。
妻はそのまま入院だったので、一人で家に帰りましたが、何にも手につかない感じで、家でひとり呆然としていたのを思い出します。
出産前日のことは、実はあんまり思い出せません。たぶんいろいろ考えたり、忙しかったんだと思います。前日の夜も、たぶん呆然としていました。その時点で名前の候補は3つくらいに絞ってたのは覚えています。
2011年
11月
30日
水
出産前夜
入院の夜、旦那・母と一緒に手術担当の先生から説明を受けました。
・なぜ今回帝王切開をするのか
・どうやって切るか
・どのようなリスクがあるのか(この情報が一番多かった)
内容はざっとこんな感じでしたが、自然分娩する気満々だったので知識ゼロの中で話を聞いていました。私は痛いのとか血とか怖いので、先生に「麻酔で意識をなくしてほしいんですけど…」と伝えたところ、先生笑って、できません!ときっぱり。そうなんですねー。みんなで笑いました。
ちなみに帝王切開には縦切りと横切りがあって場合によっては選べるそうですが、今回胎児に負担がかからないように、さっと出す為に縦切りになりました。
先生は女医さんだったのですが、とても丁寧に説明してくださり、励ましてくださったので(しかも美人!)病室に戻っても怯えずに過ごせました。
出産がんばるぞーーー!
2011年
11月
29日
火
検診で子宮内胎児発育停止・・・
11月27日に友達と代々木公園のフリマに出店し、ごはん食べて、楽しかったー。
2日後、いつものように検診にいくとエコー担当の先生が怪訝な表情。この頃すでに4週程発育が遅れていること、脳室に空洞(水?)のようなものが見えることがわかっていました。
先生から「子宮内発育遅延から発育停止になっているから、2日後に帝王切開で出産しましょう。今日入院してください。」と言われ、びっくりしたのと、やっぱりダメだったのか…と色々な思いが巡りました。
病院をあとにし、旦那に電話し、入院手続きに母が付き添ってくれました。昔、母が自分の兄を産んだ病院だったらしく、病院キレイだねー。ごはん美味しそうだねー。と終始明るくしてくれていたので、なんとなく気が紛れました。
こうして33週0日に予想もしていなかったタイミングでの出産入院が始まりました。
2011年
11月
03日
木
出産前最後の旅行 in 草津
自宅安静にも飽きた頃、出産前に大好きな温泉に行きたい!と思い、どうせならと草津まで行ってきました。
無料温泉や西の河原温泉も周り、温泉街を満喫。そこであった不思議な出来事が、おまんじゅう屋の前を通った時、おじさんがお腹の膨らんだ私に向かって「2月産まれの女の子だろ!」と言ってきました。今となっては33週の早産で12月産まれでしたが、よく女の子ってわかったなー。と旦那と感心し、『預言者のおじさん』と名づけました。おまんじゅうもそこで購入。
1泊2日の予定が、道の駅や厄除け神社やアウトレットを巡っているうちに2泊3日になり、佐野のビジネスホテルに泊まりました。CANDEOホテルという最上階に露天風呂のあるホテルで、朝食バイキングもついて一人6千円位で泊まることができました!しかもすごくキレイ!
写真のうっしー達は飲むヨーグルト。SAでうっしー大人気でした。
2011年
9月
19日
月
退院後、自宅安静生活スタート
入院中辛い思いもしましたが、一番の思い出は初めて胎動を感じたことです。
仕事でひっきりなしに動いていたせいか、それまで胎動というものを感じたことがありませんでした。静かな病室でゆったりとした時間を過ごす中で、お腹の中でもぞもぞもぞ…と何かが動く感じがして「あぁ、これが胎動なのね」としみじみしたのを覚えています。
22週を越えたところで、胎児もスローペースながら成長していることがわかり、退院し自宅安静をすることになりました。
仕事ではやり残したことが多く、長く勤めた会社でもあったので戻りたかったですが、自分が働くことで周りに心配をかけていることが今回の入院でわかったので、医師の指示を守り家でのんびり生活することにしました。
また、この時点でお腹の子がなんらかの病気・障害をもって産まれてくるとある程度の覚悟をしました。産後どのような対応が必要なのか予想ができず、職場復帰できる確信が持てなかったことから退職を決め、10月末付けで退社となりました。
2011年
9月
18日
日
初めての入院生活②
入院初日慣れない病室で、なんでこんなことになってしまったのだろう、今までポイ捨ても万引きも人殺しもしたことないのになんで私の赤ちゃんがこんな目に…と悲しくなって夜中に泣いてしまいました。
ただ、どこででも眠れるタイプだったので、翌日以降は満足に睡眠をとっていました。一番驚いたのは食事です。病院食は不味いというイメージがありましたが、食事制限がなかったおかげかデザートや野菜ジュースもつくし、大満足の内容でした。あまりにも美味しかったので、毎回食事を写メで旦那さんに報告し、下膳の際に「ごちそうさまでした」と部屋番のメモの後ろに一言添えて、神様に赤ちゃんを大きくしてくださいとアピールしていました。
入院中の一日の流れは毎朝体温・血圧・ドップラー検査をし、胎児の心音が弱っていないか、止まっていないかを確認していました。2、3日おきにエコー検査で頭囲などを測りましたが、やはり2週分位発育が遅いままでした。
2011年
9月
09日
金
初めての入院生活①
今まで大病にもかかったことがなく、骨折も突き指もしたことのない私が突然入院することになってしまいました。
大学病院の入院部屋は産婦人科と違って、妊婦さんはその部屋で私だけで、おばあちゃんが多かったです。6人部屋でお風呂は共同予約制。隣のおばあちゃんが目を患っていたようで一日中「目が痛いよう…」といううめき声が聞こえていました。
入院した時20週で2週間遅れの発育。ここから差を縮められるかの経過観察です。投薬も点滴もなく、なるべく安静にしてるだけの生活。
旦那さんにお願いして、クッキングパパ(実家にいる時よく読んでた)を大量購入し読み漁る毎日。いつしか看護師さんに「マンガ好きですよねー。」と言われる結果に。確かに好きだけどさ。マンガだけじゃない所も見せる為に小説を読んでみたが効果なし。終いには隣のおばちゃんにも「マンガ、うちの娘も大好きなのよー」と言われてしまいました。この辺りでは開き直って、ベッドサイドテーブルにマンガを積みまくる。
こうして突然にも関わらず私は快適に暮らしていました。
2011年
9月
03日
土
久しぶりの検診で発覚
1ヶ月以上空いてしまった検診を受けた際に、医師から
「赤ちゃんが全体的に少し小さいかもしれません。特に頭が。紹介する病院で診てもらってください。」「期間があいていて、いつからこうなのかわかりませんが。」と言われました。
始めは、自分も小柄なので、赤ちゃんも小さめなのねー。と思いましたが、雰囲気がそういう感じではない。
さっそく翌日、旦那も一緒に近所の大学病院にいきました。やはり医師からは「赤ちゃんが小さい、特に頭囲が週数より2週間ほど発育が遅いようです。」と言われ、私たち夫婦の出生体重を聞かれたりしましたが、旦那は巨大児で3800g越え、自分は2580gとバラバラ。
最後に「もしかしたら何か染色体の病気があるかもしれません。入院していただく可能性もあります。」と言われ頭が真っ白になったことを覚えています。とりあえず翌週平日にまた病院に来るように、栄養と睡眠をたっぷりとることを言われました。
私は仕事があったので店に少し遅れてもいいか電話し、アルバイトの子たちに延びてもらい夕方から仕事へ。今思えばちゃんと働けていたのか不思議です。
2011年
9月
01日
木
妊婦検診・・・行ってませんでした。
正確に言うと「行けてませんでした」
なぜならば、休みが無い!取っていてもバイトが休んだり辞めたりで無くなる!当時自分の店舗には社員が一人しかいない状況で、爆弾を落とされるのはかなり厳しかったです。
しかも産婦人科のお盆休みと重なり、7月下旬に検診を受けたっきりで、8月は受けれず、9月にようやく産婦人科に行けることに。
念のため、電話で確認しようとしたら、受付のおばちゃんにものすっごく怒られました!!!私の勉強不足だったのですが、検診は決められた期間で必ず受けること、きちんと受けていないといざ出産の時に受け入れてくれない場合があり、ニュースでよく見る「妊婦たらい回し」になると。
怒られたけど、それだけ心配して頂けたのはありがたいことだと思い涙が出そうになりました。本来なら個人の産婦人科なので断るそうですが、行けなかった理由を伝え、どうしてもそちらで出産したいと伝えると、先生に相談してくださりなんとか検診の予約を取ることができました。
みなさんはしっかり検診を受けているとは思いますが、私のようにずぼらな人の為に・・・「検診はこまめに受けましょう!絶対に!」